Xジェンダーのための会員制サークル label X(ラベル・エックス)/MtXとFtX・Xジェンダー・GD(ジェンダー・ディスフォリア)・性別違和など

倉井香矛哉(クライカムヤ)さんのケース

2014年9月14日(日)にlabel X主催で開催された講演会で当事者の「モデルケース」として発表してくださいました倉井香矛哉(クライカムヤ)さんのケースを当日講演会にお越しいただけなかった方のために、改めてホームページでもお伝えさせて頂きます。

(1)はじめに

こんにちは。大学院にちょっと前まで在籍していたのですが、いろいろと紆余曲折があり(笑)、現在は文章を書いたり、音楽をつくったりしている倉井と申します。

(2)船員家族という生育環境

自分の家庭環境をすこしふりかえってみると、父親が仕事で海外に、……というより、海の上ですね。船に乗る仕事をしておりまして、一年中ほとんど家に居ないという状況で、基本的に母親と姉をはじめとする女系家族によって育てられるという、ちょっとアンバランスな環境で育ってきました。

また、いわゆる母子家庭とも似ているようで違うところがあるかと思います。すこし偏見交じりかもしれませんが、いわゆる海の男には乱暴なところがあって、うちの場合、詳細は避けますが、まさにそんな傾向がありました。そのため、父親といえば、「一年のうちの一定の期間、あたかも台風のように外部から襲来して、家の中をかき乱していく存在」のように思っていました。そのせいか、いつからか大人のオトコの人を苦手とするような感覚を抱くようになってしまいました。

(3)自己同一性とミサンドリー(=男性嫌悪、父性嫌悪)的な傾向

さて、ちいさいころから「自分はオトコでもなく、女でもない」と漠然と考えていたのですが、遊び相手は女の子のほうが多くて、おままごとでは、身体がちいさかったこともあるのでしょうか、よく妹役を演っていました。唯一オトコの子っぽいことと言えば、空手を習っていたことがあるのですが、習いはじめるにあたっての動機がすこしぶっ飛んでいて、「空手で強くなって、黒帯になって、おとうさんをやっつける!」と言っていたそうです。じつは母親も自分の結婚相手(つまり、ぼくの父親)に対してあまりよい感情を持っていなかったこともあり、それまで習い事がつづいた試しがなかったぼくですが、「おとうさんをやっつける」という言葉に、母親も「よし、それなら習わせよう!」と快諾してくれました(会場、笑い)。それからもうひとつ、ちいさいころは「グリーンピースかシーシェパードに入りたい」と言っていたことがありました。表向きは「地球環境を守る」とか言っていたんですが、先ほども話したように父親が船に乗る仕事ですから、要するに、「自分がシーシェパードに入って、父親の船を襲ってぶっ潰す」ことが目的だったんですね(会場、困惑まじりの笑い)。

ここからも推察されるように、ぼくは自分のことを「オトコでもなく、女でもない」と思っていながら、ある意味では矛盾する傾向ですが、いわゆるミサンドリー、つまり、男性あるいは父親のイメージに対して苦手意識や嫌悪感を抱いてしまっていたように思います。こうした傾向は、ぼく自身の問題でもあると同時に、ぼくの家族が抱え込んでいる問題でもあったように思います。

(4)一人で生きていくことを好む学生生活

このような傾向は、ぼくの対人関係にもすくなからず影響を及ぼしていたと言えるかもしれません。学生生活を通じて、どちらかというと友人は少ないほうでした。しかしながら、高校生ぐらいまでは、そのことで思い悩むことはありませんでした。むしろ、孤独に浸っていることのほうが生きづらさを感じずに済んでいました。

また、当時通っていた高校は、勉強もさせてくれてはいたのですが、同時に、野球やラグビーも強いところで、男子生徒たちはどちらかというと無骨で粗野な傾向がありました。そのような同級生たちとかかわるよりも、たとえばラジオで聴いた音楽のことを深夜にインターネットで調べて、CDを探して聴いてみたり、……といった体験のほうに充実感がありました。無骨な同級生たちよりも、グラムロックとか、ニューロマンティックとか、いわゆる“お化粧するアーティストたち”のほうが、自分にとっては親しい存在のように思えていたのです。大学を卒業するぐらいまでは、そんな一人で生きていく生活に不満もなく暮らしていました。

(5)男子寮での生活におけるトラブル

ひとつの転機となったのは、大学院に進学後、しばらくして学生寮で生活するようになったことです。明治時代の思想家の弟子が設立したというなかなか歴史のある学生寮でした。一人で生きることを好んでいたぼくが、紙の上の思想家の言葉に励まされ、生まれて初めてみずから選んだ集団生活。……しかしそれは、ひとつの落とし穴でした。

ぼくが入寮したのは男子寮でしたが、まず困ったのは入浴です。ぼくにとって「男性とお風呂に入る」というのはありえないことでした。そのため、午前二時とか、誰もいない時間帯を見計らって入浴することになります。それからお化粧です。男子寮の洗面所で化粧をしているとやはり奇妙に思われるようで、他人に見られないようにするだけでも苦労しました。最初は、それらがどんなに重大なことかわからずにだましだましやっていたのですが、一年、二年と経つにつれて、すこしずつ生活のサイクルが狂っていくようになります。昼夜逆転した生活がつづき、やがて気がつくと、大学院の授業に出ない状態が数ヶ月つづいていました。

しかし、その段階に至っても、自分がどんなに危険な状況に置かれているのか判っていませんでした。当時のぼくが安穏と構えてしまっていた理由のひとつとして、「たとえ部屋から出なくても、インターネットで他人とコミュニケーションを取ることができていた」ことが挙げられます。しかも、そこではアイコンと文字情報、音楽や映像を通して、「性別不詳」、「年齢不詳」の、自分よりも自分らしい存在として振る舞うことができました。実生活で人とかかわりを絶つことに対してまったく何も違和感を覚えないまま、大学院の授業には出ずに、一人でずっとすごしていました。

(6)自己の存在のあり方、生き方を表現する「言葉」との出会い

そんなあるとき、インターネットのある書き込みを通じて、MtF/FtM(注:いわゆる性別を越境して生きる人たち)のことを知りました。その段階で、ようやく「そういうことだったのか」と気がつくことになりました。「自分はマイノリティと呼ばれる存在でありながら、そのことを自覚的に捉えられなかったために、周囲に誤解されたり、トラブルの種を蒔いていたのではないか」と思い至ったのです。

ちいさいころから「自分はオトコでもなく、女でもない」と漠然と考えてはいたものの、そのようなあり方を端的に表現できる言葉を知らなかった。それゆえに、自分がほかならぬマイノリティに位置づけられる存在であることに長年にわたって気づかなかった。その意味では、自己の存在のあり方、生き方を表現できる「言葉」に初めて出会えたことは希望そのものでした。

(7)おわりに

ただ、ぼくは、自分をふくめたセクシュアル・マイノリティのことを社会的な「弱者」だとは思いたくありません。むしろ、「自己の内部に、互いに矛盾しあう多様な傾向・複数性を認め、それを引き受けることができる」ということは、ほんとうは強い、……「弱さを認める強さ」をもっている存在だと言えるのではないでしょうか。

最後にあたって強調しておきたいのは、個人レベルでのジェンダー規範の撹乱は、一方で、社会的、あるいは(他者にはたらきかけるという意味での)広義の政治的なアピールでもあるということです。今日、ここに集まっている皆さんにも、ぜひ自信をもって生きてほしい。それが、今後おなじような悩みやトラウマを抱えて生きていくかもしれない人たちの未来に対して希望を投げかけることになると思います。以上、ありがとうございました。

【お知らせ】講演会当日にお話した内容を盛り込んだかたちで、『性別越境アンソロジー』という同人誌に「「性別不詳」という生き方」というタイトルのエッセイを発表する予定です。

上記のモデルケース発表の内容、またはエッセイその他に関して倉井香矛哉(クライカムヤ)さんに直接ご質問のある方は、E-mail: kamuya_1999@yahoo.co.jp またはTwitter ID: @kamuya_kurai までお寄せください。

※その際に「label Xのホームページのモデルケースをみて」とお伝えいただくとお話がスムーズに進むかと思います。

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