2013年9月22日(日)にlabel X主催で開催された講演会で当事者の「モデルケース」として発表してくださいました久遠(くおん)さんのケースを当日講演会にお越しいただけなかった方のために、改めてホームページでもお伝えさせて頂きます。
皆さん、こんにちは。ラベルXでは久遠という名で入会しております。
本日は宜しくお願い申し上げます。
人前が苦手で、大変緊張しております。
どうぞ温かい耳でお聴き下さい。
小学校中学年頃、近所の友達と即興演劇をして遊んでいました。その時に私が自分に与えるのは決まって「男にも女にもなれる」という役でした。劇中で自分に都合よくどちらにでもなれるのが、心地好かったのです。おそらく自分を解放できる、唯一の時間だったと思います。その頃から、時々女である自分の体に違和感を覚え、自分の体が自分のものではない、離人感に似た感覚がありました。学校等で女子の集団にいると、浮いている感じがして「女」と一括りにされる事に嫌悪感を覚えました。「男にも女にもなりたい」「女でも男でもある」「女でも男でもない」と感じる自分は何者なのか。私が子供~若い頃は情報を得る手段もありませんでしたので、独りで想いを抱えていました。しかし全く黙っていた訳でななく、両性になりたいとカミングアウトしてきました。これにセクシャリティが加えたカミングアウトをすると更にややこしくなり、大方はピンとこない反応であったり、それでもやっぱり「女」だと認識されたりしました。理解というか想像すらできず混乱するので、ご自身が納得する為に「女」と括るのかも知れません。
私はとても痩せていて、強い劣等感を持っていました。小学校高学年から中学高校と、周りの女の子の体がどんどん変化していくのに、自分は胸も腰も小さく、劣等感が強まりました。しかし反面、それでも変化して行く自分の体が恥ずかしくてたまりません。劣等感と恥じらいから、大勢で着替えなければならない場合は、できるだけ体を見られぬよう、コソコソと着替えをしました。プールや集団でのお風呂では、仮病を使って入らなかった事も多くありました。私は人が恐くて集団が苦手、人の輪に入れずイジメを受けた時期も長くありました。こういった性格・性質の面の劣等感に、辛い経験、体の違和感・劣等感が加わり、自分を肯定できず、20代前半から重い鬱状態に入りました。
6年前の3月に、自分で胸にしこりを見付けました。怖いのと胸を見られるのは嫌ですぐに受診せず、3ヶ月迷って診察を受けました。細胞を採って検査したところ、悪性か良性かの判断が付かず、数ヶ月に渡って様々な検査を受けました。その度に、医師・看護師・技師さんに胸を見られ、触られるのです。それが苦痛で屈辱を感じる時もありましたが、見られている自分を、自分の自意識から離すように努めました。若かったら、もっと辛かったと思います。11月に悪性であると判明し、摘出手術を決めました。その際、温存か全摘かを選ぶ事になりました。全摘をすれば、術後の放射線治療を受けずに済むのですが、私は温存を選びました。
今回、ここに重点を置いてお話しようと考えていました。温存を選んだ事に、ジェンダー・アイデンティティが絡んでいるのではと思ったからです。しかし、その時の想いを憶えいません。告知前に覚悟は出来ていたので、ショックで忘れたのではありません。術後の治療が大きく変わるので、迷った事は確かです。好きな表現ではありませんが、自分の「女」の面が全摘を拒んだのか、単に残せるなら残したいと考えたのか、もし自分の心の多くが「男」の認識であったら選択や迷いが変わったのか…判りません。術後の放射線治療は月~金曜日で6週間続きました。照射時間は短いのですが、毎日看護師さん技師さんに胸を見られました。手を挙げて照射を受ける格好も恥ずかしいものでした。患部はしばらく火傷跡のようになったり、後半は酷い倦怠感できつい想いをしましたが、温存を選択した事は後悔していません。
がんをカミングアウトする事には、抵抗を感じないのですが、「乳がん」=「女」という感じがして、部位を言わない時もあります。乳がんというと、「女性だから辛いでしょう」と言われて非常に心地悪い想いをしたり、「おっぱい取っちゃったの?」等と言う人もいて、腹立たしくもなります。体に違和感や劣等感を持ち続けてきた自分が乳がんに罹るというのは、皮肉なものですが、これも意味があるのかなぁと考えています。
話は遡りますが、30代で母の介護をしていた頃、周囲の人から「娘で良かったね」という言葉をよく聞きました。「娘」と言われるのだけでも違和感があるのに、「女の子だから親の面倒を見るのは当然」という性別役割の押し付けに憤りを覚えました。性別役割にも子供時代から敏感でした。
昨年初めて芝居をしました。昨年・今年と2回舞台に立ちましたが、2回共男の役でした。役作りには苦しみましたが、男だからという事ではありません。男であると意識して立ち居振る舞いには気を付けましたが、演出さんにも「男に見えない」と指摘はされなかったので、大丈夫だったのかなぁと思います。普段はせいぜいが「少年みたいな女」としてしか見られないので、面白い体験でした。芝居を始めたというと「女優さん」と言われる事が多く、これにも反発心を感じ、自分では「役者」と云い続けております。
ラベルXさんからXジェンダーとしての自分を受け入れられるようになったきっかけや経験等を加えて下さい、とのメールを頂きまして、考えてみました。体に対する違和感が強い時、恥ずかしくて耐え難い時、男に生まれていたら、男になりたいとの想いで苦しい時はありました。恋愛が絡んだ時はまた複雑な辛さもありました。
しかしそういう想いと共に、常に他の重い課題、学校、家庭、パニック障害や鬱病、親の介護、孤立、乳がん等を抱えていたので、辛さで辛さを相殺してきたのかも知れません。8歳から自殺を考え始めて以来ずっと、生きるか死ぬかの闘いを頭の中で繰り広げていました。自分は不必要で、生きる価値のない人間だという想いに支配されていまいます。小さな頃から生きる意味を深く考えてきました。3年前だと思うのですが、生き抜く事が生きる意味なんだと思い至り、生き抜く決意をしました。それから死への想いは薄まったのですが今年は更年期の症状が出たりで、また生消えたくなったり逃げたくなっています。本当はカッコイイ大人の例を示したいのですが、これが私です。
私はインターネットを始めた頃、ジェンダー・セクシュアリティ・病気・経験・境遇をカミングアウトしていました。趣味はカミングアウトという程でした。自分のような人間が存在する事を知らせたいからです。自己顕示欲と、仲間に出逢えるかもという淡い期待もありました。ジェンダーに関して問われる事は殆どありませんが、これからも地道にお知らせ活動をして行きます。Xだからこそ感じられる感情や感覚を、楽しんで誇りを持って、感謝できればいいなぁと思います。
私はこの頃、心身に障害があったり、あらゆるマイノリティ等で辛い想いで過ごす人達の居場所が、何処かにあればなぁと考えています。私自身、居場所がない・逃げ場がないと感じ、いつも追い詰められてきたからです。そういう場所をご存じの方がいらしたら、是非教えて下さい。いつか自分でも作りたいと思います。
私達は一人一人異なっているので、誤解も起きますし、理解し合えないのは当たり前です。先ず自分を大切にする事、そうすれば他人を大切にする事ができると思います。そういう私は未だに自分を愛して大切にする事ができずにおります。これは、私の一生を賭けた課題です。
皆さんにお願いがあります。共に生きて貰えませんか。
なんて恥ずかしい台詞を云いましたが、
そうして頂けると弱い私の、かなりの励みになります。
本日は拙い話を聴いて頂き、ありがとうございました。